ブラック企業の実態が暴かれるようになり、ブラック企業的な気配のする会社を誰もが敬遠するようになった。
たとえば、給料が安い、勤務時間が長い企業はブラック企業の典型だと目されるだろうが、ことはそう単純でもない。
たとえば、私が働いていた企業(仮にP社とする)は、客観的に観れば「ブラック企業」のはずなのだが、働いていてもきつくもなく、今振り返っても、嫌な記憶がほとんどない。
そのあと、いくつかのブラック企業で働いて嫌な経験や想いをしてきたが、それと比べても、勤務時間が長く給料面も不十分な方だった。それでもP社は私にとっては「良い会社」だった。
一般的な条件だけでブラック企業かホワイト企業かを判断するのは乱暴だ。
給料遅配、長時間労働……
P社は地方のベンチャー企業であり、世間で言えばブラック企業の範疇に入るのだろう。
- 長時間労働(毎晩20時近く、遅いときは22時まで残業)
- ときどき徹夜勤務あり(月に2回)
- 給料は手取りで22万円/月ほど
- 残業代は「一切」つかない
- もちろん通勤手当はつかない
- ボーナスはときどきしか支払われない
- 土曜日出勤は当たり前
- そのうえ、給料がよく遅配する(数ヶ月遅配することもあった)
- 上司が横暴
思い出すだけでこれだけの悪条件がある。
一般的にはブラック企業の範疇に入ると思う。特に残業代がゼロ、なのは決定的だ。
給料遅配に残業代ゼロ
P社がこのような企業だと知ったのは、入社した翌月である。
9月に入社して、初給料日となる翌月の10月25日に、
「〇さん、はじめての給料で悪いんだけど、25日に支払えないんだよ。ちょっと待ってもらえる?」
と上司から依頼された。
そのときまだ20代、社会経験も少なく、そんなときもあるのだろうと思って快く了承したのだが、同じようなことが、働いていた2年強の間に何度もあった。
また、入社したばかりの私には、
「◯さんは早く帰って」
と言われていたので、残業しても残業代が出ないということがわからなかった。
残業するように指示されたのは働き始めて2ヶ月目から。
その翌月の給料に残業代が含まれていなかったので確認すると、
「うち残業代は出ないんだよ」
と気の毒そうに言われて、仕方ないな、とあきらめたのだった。
その頃は、まだインターネットが発達していなかったので、そんなものだろうと思ったのだ。
給料明細は、A4などの大きさの紙ではなく、幅5mm、長さ20cm程度の短冊に書かれたものが渡されるだけのいい加減なものだった。
腰掛けのつもりだったから期待もなかった(数ヶ月で辞めるつもりだったので2年以上働くことになったのは予想外だったが)。
強圧的な命令がたまに飛ぶ
他の会社ではありえないような指示が飛ぶのがP社の特徴であっる。
P社で、一部従業員がしめしあわせて、集団で辞めるという事件があった。
それに懲りた役員は、従業員同士で退職を相談しないように、個人的な連絡先の交換を禁じると命令を飛ばした。
誰もそれを守らなかったあるとき、突然一人一人呼ばれて、携帯に入れた同僚の連絡先を上司の目の前で削除するように求められた。
携帯の中身を勝手に見せろ、とまでは言わないのだが、別室に呼ばれて、
「あなた、他の社員と個人的な連絡先の交換しているでしょ? 知ってるんだから! 答えなさい!」
と、言われたら、びっくりすると同時に誰かがゲロったのだろうと観念して、正直に告白する。すると、
「この前、指示したよね? 社員の個人間の連絡先交換禁止って。今すぐ目の前で消しなさい!」
とやられる。
ほかに、役員同士は親戚同士だが、それを隠すために誰もが通り名で働いていた。そのことを噂したら懲戒処分となる、などの厳しいルールが合った。
コンプライアンスもめちゃくちゃ
辞めさせられた社員と会社が裁判になり、法廷で上記の件が「強権支配」の例として持ち出されたらしく、いくつかの馬鹿げたルールは廃止になった。
とはいえさまざまな不備があり、求人票の募集内容と実際があまりに違いすぎたので、入社した後に社員は「騙された」と言って誰もが文句を言っていた。
そもそも50億円の年間売上があるにも関わらず、就業規則も定められていないコンプライアンスもメチャクチャな会社だった。
今から考えれば、地方議員と代表取締役が懇意にしている地方発のベンチャー企業という特殊性によって、いろいろな制約を免除されていたのだろう。
なぜか浮かぶのは楽しい思い出ばかり
このようなところになぜか迷い込んだ私だったが、振り返ってみても嫌な思い出はほとんどない。むしろ楽しい記憶ばかりが浮かんでくる。
私だけではない。そのときに一緒に働いていた人、すぐに退職した人と、今でもたまに連絡を取り合っている。彼らはみな、あの会社は面白かった、楽しかった、と言う。
誰もがみな若かった
ベンチャー企業という特殊性から、誰もがみな若かった。
一番年上の役員は経営者の姉だったが、それでも40代半ばだった。役員は30代から40代始めであり、今から考えれば新入社員と年齢が近かった。
年をとった社員が多いと、若手にとっては煙たい。年齢が高いとプライドが高い人が多く、下手なことを言ってへそを曲げられる可能性もある。
早く言えば、若手は気を遣わなければならないために年配の社員を敬遠したい。その種のストレスが要らなかった。
女性がみな美人
経営者の趣味で、女性社員が美人ばかりだった。
こんないい加減な会社にどうして美人社員が集まったのか? 理由は簡単で、過去を一切問わなかったから。
風俗勤務や水商売の仕事をしていたけれども、まともな会社員として働きたい、という女性は数多くいるが、ほとんどの会社は門戸を閉ざしている。
ところがP社では、仕事ができれば何も問わずに受け入れていた。
ゆるゆるの労働環境
待遇も悪い、労働時間は長い、上司が時々理不尽と、嫌な面が多い半面、ゆるい部分はとことんゆるい。
半年ほど勤めると、たまに遅刻しても何も言われなくなるとか、昼飯でビールを飲んでも何も言われないとか、夜中にはテレビをつけながら仕事ができるとか、お菓子を食べ続けながら仕事をしても何も注意されないとか。
それが意外に心地よかった。
性格の良い人ばかりが残る
とはいえ、待遇は悪いのは確かで、辞める人は辞める。特に経営者の気分次第のような理不尽な指示が嫌で辞める人が多かった。
その結果、よく言えば性格が丸い、悪く言えば受動的なタイプの社員が多く残る。
だからだろうか、同僚から不快な思いを受けた覚えがほとんどない。ほかの会社にいたような、他人をバカにしたりイジメたりするような社員がほとんどいなかった。
人間関係が良ければ、たいてい我慢できる
つまりは、一緒に働いていた同僚たちに恵まれていたので、長時間働こうとも、多少待遇が悪かろうとも、つらいとは思わなかった、ということになる。

結局は人間関係におちつく。
長時間労働がつらいといっても、たとえば家に帰れば家事をしたり、DVDを観たり、スマホをいじったりと、何かしらをしているものだ。それが仕事であったところで、つらくさえなければ人間は壊れない。
P社の仕事の内容は、堅実寄りで、追い詰められる様なものではなかった。あとは一緒に働いていて楽しい人々に囲まれてさえいれば、長時間労働でも大変だと思うこともない。
仕事に恵まれず、どうしてもブラック企業にしか転職できない場合もあるだろう。そのときに、残業時間や給料面だけでブラックかどうかを判断しようとすると、判断を見誤る可能性がある。