空気を読めない同僚と一緒に働いていたときのこと

空気を読めない同僚と一緒に働いていたときのこと

先日の記事「空気が読めずに孤立して自殺を考えた」で、嫌がらせを受けていた私の過去について述べた。

ところが、それから何年後に、かつての私と似たような人物が私のいた会社に入社してきた。

そのときに考えたこと、どう接したか、どう接すべきだったのかについてまとめてみたい。その人物をBとするが、Bは、かつての私と同じように、コミュニケーションに癖のある人物だった。

最初はうまくいっていた

私がある企業で働いていたときのことだ。

中途入社してきたBは私の席の隣に配置されたため、最初はよく話していた。

むしろ話し好きで、Bは自分の趣味をよく話す。海外をよく旅行していること、前の仕事が映像関係だったこと、前の職場を人間関係の悪化のために辞めたことなどを、一緒にコーヒーを飲んだ時に、堰を切ったように話してくれた。

Bがそこまで私に気を許したのは、私もまた、以前の職場で人間関係で苦しんできたため、彼に深く共感しながら話を聞いたことが原因だろう。

彼は挙動不審なところがあった。極論を会話によく混ぜて話したり、じっと他人を見つめたりする癖があった。このセクハラに敏感なご時世に、下品な話題を好んでいた。だから私以外の人間は、彼にあまり話しかけなかった。かつての自分と似ていた。だから何くれと話しかけた。

それがBにとっては嬉しかった(と、Bから少しして話してくれた)。

何気ない会話が原因で態度が急変

ところが、とある別の同僚からBの前職について尋ねられ、
「映像関係だったそうですよ。詳しくはBからきいてください」
と答え、それを回り回ってBが知ったところから、Bの気持ちが変化した(と、Bが退職の相談をした上司から教えてもらった)。

私自身、前職について他人に話して、いつの間にか、会社獣が知っていたし、B自身が前職について、別の同僚に話していたのも知っていたから、別に私だけに教えてくれたことじゃあるまいし、触りについて話してもいいだろう、と考えたのだ。

ところがBにとっては違ったようだ。

Bは自分についての情報は、完全に自分だけでコントロールしないと気が済まない性質であり(ということは、あとになってようやく分かった)、人間関係で揉めて辞めたことなどまで、しゃべられたのではないか、と妄想を膨らませたのではないか、と今になって思う。

ただ、本当の理由についてはわからない。

態度が急変、扱いに困る

そのあと食事時間が一緒になったので「飯に行きませんか?」と話しかけても、
「僕は一人でいるほうが好きなので食事に誘わないでください」
と断られるようになった。

一人で控え室で飯を食べる彼に、話しかけても、
「今音楽を聞いてます」
などと言われて無視されるようになった。

しまいには挨拶すら返されない。それどころか、私がお菓子を横で食べると、机をバンと叩いて怒りを表明する。他の人も食べてるのに、私は音を立てないように食べてるのに、なんで俺ばっかり気を使わなくちゃならんのだろう? とイライラしたものだ。

それまでの態度とガラッと変わった。ときどき他の同僚が話しかけると、愛想よく返すのに、私にだけは徹底的に、そしてわざと無視をする。

それにどう対応したらいいのか最初は分からずにとまどったものだ。

思い込みが強い人の攻撃性

彼のようなタイプについては私も知識として知っていた。

Bは、何かに集中すると他のものが見えなくなることとか、好きなことについては周りが迷惑していてもいつまでも話すところとか、物音に敏感で、騒音に対して過剰反応するところとか、表情に乏しいところなど、ある症状に特徴的な症例がみてとれた。

それに対し、私は病気というよりも、これがこの人の個性なのだろう、ととらえていた。つまり、このタイプの人間の欠陥、人間関係を破壊する理由などに対する危機意識が少なかった。

この手のタイプの人間は、いったん他人を許せない、と考えると、完全に関係を遮断しようとする。その次に、こちらが何もしていなくても、被害妄想を膨らませ、自ら攻撃性を発して、他人への嫌がらせを始めるのだ。

今までと変わらない態度に、なによりもムカつき、それを自分への攻撃とみなし、反撃する。理由は説明しない。自分は空気を読まないくせに、他人には言わなくても理解することを強要する。

仕事中ふと顔を上げるとひたすらにらみつけていたり、仕事で話しかけると「今作業中だ!」と怒鳴り返されたり、社外からの伝言を私に渡さなかったり、といった嫌がらせが始まった。

仕事であろうとも話しかけず、他人を介して用件を伝え、こちらから関係を極力断ち、自分も無視をする、という対応が一番良いと気づくまで、あからさまな嫌がらせが続いた。

自分勝手な行動がエスカレートしていく

どうにか一年以上、彼とトラブルを起こさずに過ごせるようになったものの、関係が沈静化したのちに、今度はBがくだらないアドバイス(「もっとこうしたら」とか)を私に始めるようになった。

これは、上司から「Bに注意しても分かってくれないことが多いから、あなたに注意することで、Bに分からせるようにしたい」と相談を受けたことが発端だった。

「これからBが失敗したら、Bの横のあなたが同じ失敗をしたときに、強めに注意してみようと思う。横で他人に言われるのを聞いていたら、Bも自分のミスを改めるでしょ」と言われて、なんで私がそこまで自己犠牲を払わなければならないのか、と心外に思ったが、上司も困っているというので、承諾した。

それをBは、自分が私よりも格上だと勘違いしたようだ。

さらには、そのころ社内に話相手がいなくなり孤立してしまったため、私への注意、教育が彼にとって楽しい会話に感じられたのかもしれない。

笑顔で対応するようにしていたが、だんだんウザくなり、閉口して、上司に相談して私を生贄にする作戦は辞めてもらったのだが。

そのあとBは、上司が自分の悪口を言っていると思い込み、暴力事件を起こして会社を去っていった。

かつての自分のいたらなさに気づく

Bの行動を客観的に観察する機会を得て、反省するところがあった。

Bはこだわりが強かった。他人を許せないタイプの人間だった。コミュ障であることをBは自覚していたが、それはテクニックのせいだと思っていた。しかし、他人への不寛容が大きな要因であることを認められなかった

かつての私も同じだった。邪悪な人間を許せず、攻撃をしても良いと思い込んでいた。だが、邪悪かどうかを自分ひとりだけで判断するのは独りよがりでしかない。

孤立の根底には、自分だけが正しいと思いこむ独善性があった。独善性は他者への共感を阻害するから、他人にとって大きなストレスとなる。

他人に嫌がらせをすることは正しくない

もっとも、私が以前働いていたA社の連中を擁護するつもりはない。A社の連中は、集団で私に嫌がらせをした。私は周りをけしかけてBを攻撃するような真似はしなかった。

その点で、A社の連中はむしろBと同じだ。自分(たち)が正しいと思い込み、ターゲットへの攻撃を正当化していた。

ただ、かつての私も、A社の人間のくだらない言動にいちいち反論していたが、あれも一種の攻撃だった。バカな人間に正論を唱えることは相手への攻撃である。

正義が大きな迷惑となることは、世の中にいくらでもある。

Wikipedia

自分の正義を疑うことは難しいとしても、他人を否定せず、攻撃せず、距離を保ちながら冷静に対応することは出来よう。

その上で、嫌な人間を攻撃するようけしかけるのではなく、他の善良な人々と仲良くしていけばいい。それが無理ならその集団から離れる。攻撃はできるだけ避ける。

程よい距離感をもつことが、共生への近道なのだろう。

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