書評『モバイルボヘミアン』は自由へ奮い立たせる本

書評『モバイルボヘミアン』は自由へ奮い立たせる本

久々に「もっと自由になりたい」という渇望を思い出させてくれる本に出会った。ライツ社から2017年4月に出版された『モバイルボヘミアン 旅するように働き、生きるには』という本だ。

本田直之さんという方と、四角大輔さんという方の共著。私は知らなかったが、どちらも業界では知られた存在だという。お二人の経歴を知れば、なるほど、と納得する。

著者二人の経歴については後ほど触れるとして、まずは本の内容について触れたい。

手足の鎖の存在に気づかせる本

家庭、学校、会社などで不自由な生活を送っている人は、誰もが心に抱く願いがある。
「もっと自由に生きたい」
というものだ。

しかし、どうすれば理想を実現できるのかわからず、忙しい毎日に追われるうちに渇望を心の中にしまいこんだまま、自由に憧れていたことすら忘れて日常へ埋没する。

ところが『モバイルボヘミアン』を読むと、自分の手足に鎖が巻かれていたことを思いだす。そして、「自由に生きることは可能である」ということに気づかせてくれる。

それは、本書に描かれた著者二人の、自由に縛られずに生きている姿が非常に魅力的だからだ。

人が鳥を見て初めて、自分たちが飛べないことに気づくのに似ているかもしれない。人類が飛べるようになったのは、鳥に憧れ、飛ぼうと願ったからだった。空を飛ぶためには、まず鳥を見て憧れなければなるまい。

iPhoneと共に世界を自由に飛び回る

著者二人の生き方は魅力的だ。一人はハワイを拠点にサーフィンに打ち込みながら、もう一人はニュージーランドの大自然を中心としたアウトドアライフを謳歌しながら、世界中を駆け回っている。

二人はiPhoneを軸にして仕事をしているため、オフィスに縛られない。世界中の美しい場所を旅しながら、世界中の美味しいものを食べ、様々な人々と出会いながら、場所に縛られずに仕事をするのだ。

毎日満員電車に揺られたり、朝のラッシュの中で車を走らせたり、会社で嫌な人間の横に座って気詰まりを感じたりしながら仕事をするのと、なんと違うことだろうか。

iPhoneのようなガジェットを駆使して、場所と時間に縛られず自由に生きることの素晴らしさが書かれている。そのために16年かけてライフスタイルを確立したことなども参考になるだろう。

ハワイやニュージーランドのような誰もが住みたがる最高の場所を中心として生きていることなどを想像するだけで、楽しくなるだろう。羨ましい、と誰もが思い、憧れるのではないだろうか。

文字も大きく読みやすいから、読んでいるだけで、
「こう生きたい」いや「こう生きよう」
という気持ちが狂おしいまでに湧いてくるかもしれない。

書かれていないこともある

とはいえ20代の若者ならば、憧れを核としてすぐに実現に向かって走り始めてもいいだろうが、私の歳になるとさすがにそれはできない。なぜならこの本に書かれていないことが多いのに、すぐに気づくからだ。

例えばこの生き方をするためには、あきらめなければならないことが数多く出てくる。

たとえば結婚。

もちろん、自分の生き方に共感してくれる女性と結婚すれば、独身時代と同じ生活スタイルを送ることは可能だと最初は思う。

しかし、実際に結婚した男性の皆さんはおわかりになると思うが、結婚後、特に子供が生まれると女性は必ず変わる。夫に側にいて、家事をもっと手伝ってほしいと望み、落ち着ける家をローンを組んで買ってほしいと望み、子育てにもっと参加してほしいと望むようになる。女は変わるのだ。男を縛りつける方へ。

その声を振り切って、世界中を旅して回ることが果たして可能だろうか? そして、それは幸せだろうか?

子供の教育の問題、自分たちの老後の問題、所属するコミュニティー、あるいは親の介護の問題などを考えたときに、旅を軸にした縛られない生き方は、リターンも多いけれども、実は様々なリスクを将来にはらんでいることに気づくだろう。

誰もが自由に生きれば社会は大混乱

それだけではない。もっと大きな視点で観ると、「自由で土地や時間に縛られない生き方」を誰もがすれば、社会が混乱することにも予測できるから、
「自分がそんなに無責任でいいだろうか?」
と考えるかもしれない。

土地に根を張る人々がいるからこそ、社会は安定する。警察が地域をパトロールし、教師が子どもたちを教え、店舗の店主が毎日食品を販売し、配送業者が配達に尽力してくれるから、私達は生活できる。

彼らが一斉に旅を始めたらどうなるだろうか? 想像してほしい。

また、障害を抱えた家族を持っていながら、このような生き方ができるかどうかを想像してもいいだろう。

例が極端で恐縮だが、ネズミ講を勧められないのと似ている。このビジネスが世界中で禁止されているのは、「誰もが大金持ちになれる」と宣伝するけれども、システム上富豪になるのは上層部の一握りだけで、多くの人は儲からず、必ず損する人が現れるから。

そして誰もが参加すれば、必ず最終的には破綻するからだ。

昔の思想家、生き方指南者はもっと慎重

世界の一部の人にしか実行できず、すべての人が実行すれば社会が破綻する生き方を、
「ぼくたちがこの本で伝えたいことは、もしあなたが望むのであれば、テクノロジーの発展のおかげで、この生き方はだれにでも実現可能な生き方になった、ということなのだ」(本書36ページ)と断言し、多くの人に勧めても良いのだろうか? と疑問を抱く。

たとえば、
「すべての人がこうした生き方はできない。自由を愛していても、それができない立場の人も大勢いるだろう。しかし、私達の生き方を参考にして少しでも生活に自由を吹き込むことは可能だ」
というスタンスならば、まだ分かる。

しかし「モバイルボヘミアンに向いていないのは、自由が苦手な人だ」(本書182ページ)と突き放されてしまうと、いや、それは違うんじゃないか、と感じる。

人間の生き方を説こうとするならば、もっと慎重になってほしかったところでもある。たとえば安岡正篤や竹内均のような、少し古いタイプの人生指南者はもっと慎重に言葉を選んでいた。それに比べると、彼らは少々軽い。

本書の中でも、著者たちがある学生から「地に足着いていない大人」と揶揄されたという経験を紹介している(私が同じ年だったときは、純粋に憧れるだけで終わっただろうから、この学生は大したものだ)。

それに対して著者は「地に足を着けずに探し求めた結果、自分たちはもっと素晴らしい生き方にたどりついた」と宣言して終わっているのだが、学生の揶揄への反論にはなっていないだろう。徹頭徹尾、自分のことしか頭になく、社会全体への目配りが欠けているようにも思える。

誰もが彼らのようになれないけれども

以上のように、本書への批判を少し述べてしまったけれども、上に挙げた批判は杞憂でもある。なぜなら少し読めば、彼らのような生き方は、誰もができる、と言うけれども誰もができるものではないことがすぐに分かるからだ。

著者の経歴は華麗で、凡百の人間のものではない。

著者2人のうち、本田さんはMBAを取得して外資系銀行に就職したのち退職、JASDAQ上場企業を育て上げた起業のプロ。もう一方の四角さんはChemistryや絢香という、記憶にも記録にも残る超一流の芸能人をプロデュースして成功に導いた音楽業界のレジェンドなのだから。

彼らがモバイルボヘミアンとして生きるための生活の糧は、原稿料やオンラインサロン、講演料などだ。このような方法で稼げるのは、少数の選ばれし者だけだろう。

そのことに気づかない者、自分は選ばれた者だと錯覚した者だけが、彼らになることを目指して夢を追いかければいいし、その中からは夢を実現した大勢の者が生まれるのだろう。それはそれで素晴らしい。

それに、自由になろうとして努力することで、自分の財産を失うわけでもなければ、誰かに人生を売り渡すわけでもない。夢の途上であきらめたとしても、周囲の他人よりも自由な人生にたどり着けるのは間違いない。

社会よりもまず自分の人生を豊かに

このブログ自体、彼らのような自由人を目指すことを目標に掲げている。

社会への目配りは確かに必要かもしれないが、我々日本人は、少々社会への目配りが行き過ぎている。社会への目配りのことをまず考えてしまう人間は、見えない鎖で手足が結ばれている。だからブラック企業などに入ったときに、他の社員への迷惑を考えてすぐに辞めることができない。

もっと自由に貪欲になったほうが良い。見えない牢獄から出るために、まず自由になることを考えたほうが良い。

このとき、『モバイルボヘミアン』は、自分を奮い立たせてくれる本だといえる。

自己啓発カテゴリの最新記事