恵まれた人間が劣った環境に身を置く意味はない

恵まれた人間が劣った環境に身を置く意味はない

私はいくつかのブラック企業に勤めてきた。

給料が低いとか、長時間労働だとか、将来性がないとか、ブラック企業と言われるためにはいろいろな種類があるようだが、最底辺のブラック企業には、ほとんどが備わる。

最底辺のブラック企業では、同僚の多くが高卒や専門学校卒だ。彼らの主な関心は、風俗やギャンブルなどだ。

こうしたブラック企業にそぐわない人間が堕ちてしまうと悲惨の一言だ。生活がきつい上に、人間関係にも救いが求められないためにトラブル続きとなるからだ。

しかし、容易に予測できるにも関わらず、大卒カードや大企業に入社したキャリアを潔しとせずに、敢えて底辺へと身を落とす人々がいる。

彼らは、周囲の恵まれた人々の傲慢さや世間知らずを嫌悪して、敢えてレールを降りて、底辺へと沈んでいく。

ある程度の学歴の大卒社員が、最底辺のブラック企業に堕ちるとどうなるのかについて語ってみたい。

大卒のバカはそれ以下の人間にとっての侮蔑の対象

堕ちてみてわかるのは、底辺企業の社員にとって、大卒の人間などは敵にしか見えないという現実だ。

彼らは大卒社員に、同じように落ちこぼれたバカとして仲間意識をもつことはない。むしろ、恵まれながら自分と同じ境遇に陥った人間は、大切なものが欠如した、自分以下のバカだと認識する。

だから何かあれば、
「大卒のくせにこんなこともわからないのか?」
とイジメの対象になり、仕事をうまくこなしても、
「天狗になってる、大卒を鼻にかけている」
と疎まれるようになる。

しかも、中学や高校でどれだけイケていたか、が判断基準の彼らにとって、そこで輝いた歴史のない人間はゴミクズ以下でしかない。大卒社員には中高でイケていない人が多いから、そこをからかわれる。

そのうえ、
「俺たちと違って一生懸命に勉強してきても、俺たちと同じとか、かわいそう」
とせせら笑いの対象になる。

彼らの多くは学生時代にヤンキーとして輝いてきた経験がある。しかし、いまは自分が最底辺にいることを自覚している。自分よりも地位の高い人々の成功に嫉妬をし、届かない恨みを、たまたま一緒になった大卒社員にぶつけてうさを晴らす。

強面の人間ならまだしも、優しい気弱な人間は、彼らからいたずら電話をかけられたり、ナイフを突きつけられたり、脅されたりと、いろいろな経験をすることになるだろう。

ブラック企業で学べることは少ない

昭和の価値観だと、つらくて厳しい環境には価値が有ることになっている。他人の弱みが分かるようになるし、ハングリー精神も備わるはずだからだ。

それが正しいならば、底辺ブラック企業で働いた経験は大きな価値となるはずだが、実際に経験してみたものの、それがなにかに役立つとは到底思えない。だいたい、ブラック企業という環境に価値があるなら、ブラック企業出身の成功者が大勢出てきても良さそうなものだが、あまりそういう話も聞かない。

それよりも、恵まれた会社で長年働いてきた人間の方が、研修などで知識も身につけ、キャリアも積んでいるので即戦力となる力をつけてもらっているため、転職しても力を発揮している。

ブラック底辺企業で身につけられたことは、強圧的な上司の機嫌を損ねない方法だとか、サボり方だとか、無駄な努力であっても根性で乗り切る方法であるとか、アナログな経験が多かった。気が利かなかった私には役立ったこともあったが、そこで学んだことが、そのあとの人生を邪魔したこともあった。

ホワイト企業の社員は人種が異なる

底辺のブラック企業からホワイトな大企業に転職して、かつての古巣と比較して感じたのは、底辺企業の社員とホワイトな大企業の社員との人の違いだった。

ホワイト大企業には、傲慢な人も多かった。しかし、底辺ブラック企業の人間には、嫉妬・偏見・無知・憎悪・侮蔑などの悪徳が備わっていた。悪徳さで言えば、底辺企業の方がはるかにひどかった。

性格も違うなら、言語や態度も異なっていた。ホワイト大企業の社員には語彙力があるから、怒り方もバリエーションがある。適切な言葉が選ばれるから、伝えたい事が相手に伝わることが多い。

それに比べると、最底辺ブラック企業では、
「俺の言っていることがこれ以上わからんのだったら、しめるぞ」
と言って、暴力をふるうものだから、言葉ではなく推測で部下は動かざるを得ない。言葉を使わないコミュニケーションが主流だとしたら、それは動物の世界である。

棒で殴られることもなかった。カネを脅し取ろうとする人々もいなかった(すべて私が底辺企業で経験したことだ)。

性格どころか、言葉や文化が異なるとしたら、底辺ブラック企業の社員とホワイト大企業の社員との間には、人種が異なるほどの違いがあることになる。

底辺企業にも優秀な人々はいる

もちろん、大卒だから優秀ということはなく、高卒や専門学校卒であっても素晴らしい人はたくさんいる。知識習得に余念なく、万巻の書を読む人々がいることを私は知っている。

今ではインターネットで高度な内容を学習する機会は限りなくあるから、高卒や専門学校卒で人間をくくるのも時代遅れだろう。学歴がなくとも勉強する人は勉強している。

先日中卒の方が、動画でドラッカーやランチェスター戦略について相当突っ込んだ議論を展開していて舌を巻いた。

底辺企業在籍だとか中卒だとか専門学校卒だとかで人間をステレオタイプに分けていると、そこから突出した人間と遭遇したときに慌てることになる。

ステレオタイプな人間の分類は、ほどほどにした方が良いというのも分かっている。

恵まれた環境を捨てる必要はまったくない

ただ、私が強調したいのは、恵まれた環境に一時期身を置きながら、それを潔しとせず、人生経験を豊かにしようと考えてレールを降り、たとえばブラック企業や底辺企業で働いてみよう、と考えるのはやめたほうが良い、ということ。

人生は短い。その人生を有意義なものにしたいのならば、上がっていくことを強くお勧めしたい。

上に登れば登るほど、あなたの力は強くなる。たとえば下に沈んでいる人を救うことができるようになる。傲慢な人々の価値観すら変えることもできるようになるだろう。

堕ちることよりも、上がることを目指してほしい。

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